24期生 昭和56年卒

木田 頼孝 氏

武田テバ薬品(株)
LLP事業本部名古屋支店支店長

私は昭和56年に近畿大学薬学部を卒業し、同年、武田薬品工業(株)に入社して37年がたちました。来年還暦を迎えるに当たり振り返ると営業の仕事一筋の会社人生でした。神奈川県厚木営業所からスタートし、秋田、岡山、福井、静岡、大阪、名古屋、と転勤の連続で、引っ越しも11回、行く先々で多くの人との出会いがあり貴重な良い経験を多くさせていただくことが出来ました。製薬業界の営業は入社当時プロパーと言われ、製薬各社が激しいサービス競争をしておりました。その後MRという呼び方になり当初は少し違和感もありましたが、MR認定試験が導入されるなど、製薬業界の医薬情報担当者としての地位確立もされてきたところです。医薬品の情報活動の在り方なども都度見直され、エビデンス重視やコンプライアンスといった業界全体を見直す動きも始まり、この37年間業界全体やそれを取り巻く環境も含め大きく変わって来ました。今思えば、自身の変容が大切であったと痛感しております。今のMRの仕事は当時のプロパーに比べ新卒学生のイメージも良く、就職希望者も多いように聞いております。非常に夢のある仕事になってきたと思います。常に患者ファーストで活動しており、自社の製品を通じて多くの患者様を病気から救う一役を担うことができます。サイエンスに沿った活動ウェイトも高まり、医療関係者と対等に渡り合える機会も増え、非常に遣り甲斐のある仕事です。ダイバーシティーも進み多様化の中で、さまざまなMRが多くの発想を出し、自然な雰囲気で仕事を進めており、皆が生き生きとしている姿を見ると、うれしく思います。

今私は、武田薬品から出向し武田テバ薬品(株)という合弁会社で新しいビジネスベンチャーに参加しております。以前とは違い、新薬ではなく特許の切れた製品を扱う会社で、ジェネリックを含めた特許切れ医薬品(Off Patent Drug)を社会の環境変化に合わせ効率よく役立てて頂くための仕事をしています。まさに“もったいない”ことの無いようにとの思いと、新しい価値の創出が出来ればと考えて、日々精進しております。今も営業の仕事に携わり多くの医療関係者の方々とお会いし、さまざまな刺激を頂いており、大変充実した日々を送らせていただいております。近大薬学部を卒業し、長い間営業の仕事をさせて頂けることに、心より感謝申し上げます。




◇若い卒業生の声◇

53期生 平成22年卒
(創薬1期生)

坂野 理絵 氏

私は、大学院修了後、科目等履修生として薬剤師免許を取得しました。免許取得後は、病院薬剤師を経て、現在、摂南大学薬学部で特任助教として勤務しています。所属研究室では、大学時代とは異なる分野の研究をしています。そのため、最初は戸惑うこともありましたが、様々な先生にご指導頂きながら学生と一緒に奮闘しています。

大学時代の恩師の口癖が「原理原則!!」でした。何事も原理原則を理解し、問題に直面した時に立ち返って考えることの大切さを教えて頂きました。この言葉は、研究のみならず、病院薬剤師をしていた時、そして、教員として学生に接する時の私のベースとなっています。摂南大学では、所属研究室での研究・学生指導のほか、フィジカルアセスメント、セルフメディケーションやカルテ読解などの演習に携わっています。どの演習も臨床を想定しやすいよう工夫し、また多角的な視点から患者背景や治療経過を把握し、薬物療法に活かす能力が修得できるよう演習を行っています。これらの演習でも「原理原則!!」が活きています。例えば、検査値をみる時は、単に正常値より高い低いではなく、状況に応じた判断が必要になります。そのため、測定原理等を理解した上で何が起きているのかを考えられるように指導することを心がけています。今後もこの教えを大切にしながら、研究ならびに薬学教育に邁進してまいりますので、近畿大学の諸先輩方や先生方にご指導賜りますようお願い申し上げます。


56期生 平成25年卒
(医療2期生

 鈴山 直寛 氏

大学を卒業し病院に務め4年が経過しました。入った当初は薬のこと、病棟業務のことなど覚えることがたくさんあり苦戦していました。今でも覚えることはたくさんあり日々勉強中です。現時点で就職先を迷っている方も多いと思いますが、学生のうちに授業や実習で多くのことを学び経験しておくと働いてから役に立つと思います。

私自身、就職の際は何になりたいか迷っていました。企業か病院か薬局か就職に悩んでいた私が病院薬剤師を決めた理由がありました。それは、薬剤師としての様々な業務を経験できるだけではなく、他の職種と協力し合い患者さんの治療に貢献できる点でした。

昨年度からNST(Nutrition Support Team)といわれる栄養チームの一員として、活動しています。チームの中には医師、看護師、管理栄養士、臨床検査技師など様々な職種の方がおり、協力しながら患者さんの栄養管理に携わっています。薬剤師として、輸液組成の提案や内服薬の提案など薬学的アプローチをすることで、他職種と連携しながら患者さんの治療に関わることができることにすごくやりがいを感じています。実際に、食事摂取が進まない患者さんに、食事の形態を変更し、漢方薬の六君子湯を追加することで、食事摂取が進み栄養状態の改善を図ることが出来ました。チームで考えた栄養管理で患者さんの状態が改善し、無事退院されていく姿を見ると嬉しくなります。今振り返ってみると、私のやりたかったことが病院薬剤師で実現できていると感じています。



活躍されている卒業生
21期生 昭和53年卒

小林 久子 氏

株式会社リープ 代表取締役

私は今年還暦を迎えました。昭和53年に近畿大学薬学部を卒業してから38年が経ち、独立起業してから19年が過ぎました。そして今、人生で一番充実した幸せな毎日を過ごしています。

卒業当時、女子の就職先は概ね病院の薬剤部が多い時代でしたが、OLに憧れ試薬メーカー会社に就職しました。その後結婚、主人のドイツ駐在に帯同するため渡独し出産・子育てをしながらドイツ語を学んだり、市民大学でたくさんドイツの文化を学びました。そしてこの時期に女性が社会の一員として働く事の大切さを実感しました。その後帰国してから子育てをしながら病院で薬剤師として勤務しました。子育中は地域の薬局でお世話になることが多く、いつか私も地域の方から頼りにしていただける薬局が作りたいと考えていました。その後、調剤薬局で薬剤師として働き、「患者さんから頼りにされる薬局とは…」「本当に地域の皆様から頼りにされ必要とされる薬局とは…」それはどんな薬局なのかを考えるようになりました。

そこで思い切って自分で薬局を作ってみようと思い独立ました。始めは苦労もありましたが、信頼して頂ける医師との出会いがあり順調に経営を伸ばすことができました。私自身は経営者としての仕事もありますが、できるだけ薬剤師として患者さんと接する時間を大切にしました。そうしていると、「これで本当に皆さまのお役にたてているのか…」「これが私の理想と考える薬局なのか…」との疑問が沸き上がってきました。そして薬局だけでは何か物足りなさを感じるようになり、そこで介護の仕事をする部門を自社の中に作り、医療と介護の連携を実現し、より患者さんにとって安心・安全なサービスを提供したいと思いました。現在は薬局と通所介護・訪問介護・ケアプランセンター・サービス付き高齢者向け住宅をグループ内に持ち運営しています。独立して19年経った今、患者さんが笑顔で薬局を出て行かれる後ろ姿に喜びを感じ、そしてサービス付き高齢者向け住宅のリビングで入居者の皆さんと何気ない時間を過ごす時に、至福を感じる日常です。一介の主婦がある日、「人の役に立ちたい」「理想の薬局を作りたい」と思ったところから始まりました。あきらめなければ思いは叶うと思います。今後、全事業所が半径5km圏内にあることを強みとして、地域の方々に在宅業務を含めもっと良いサービスを提供していくにはどうすればいいのかを愚直に追及していきたいと思っています。いつまでも初心を忘れずに生涯現役で頑張ってまいります。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


21期生 昭和53年卒

辻 隆司 氏

公益社団法人 大阪生活衛生協会常任理事理事

私は、昭和53年から大阪市役所に奉職し、以後38年間、衛生行政に携わってきました。大阪市の衛生行政は健康局が所管しており、主たる業務は、市民の健康づくりや感染症の蔓延を防止する業務(対人衛生業務)と食品や営業施設などを介した健康被害を防止する業務(対物衛生業務)の2本柱となっています。薬剤師は主として後者の業務に従事しています。薬剤師は市長から食品衛生監視員や薬事監視員などに任命され、飲食店や薬局などに対する監視指導を行い、施設等の衛生確保を図ることにより、間接的に市民の健康を守っています。健康局は職員数が約600人の小さい局ではありますが、その中で薬剤師は100人強を占めており、衛生施策の企画立案から監視指導の実施までの一連の業務を任されています。

私は本庁の生活衛生担当部長という立場で食品衛生、環境衛生、薬務、動物関係業務の企画立案部門の統括責任者として4年間過ごしてきました。この分野は市民の関心も高く、施策の策定や実施についてパブリックコメントで広く市民から意見を聞いたり、議会のチェックを受けたりと常に緊張を強いられる仕事でしたが、それだけ重要な仕事を任されているとの自負もありました。

衛生行政は専門的な知識と総合的な判断が求められる仕事ですので、幅広い専門的知識を持ち、論理的な思考もできる薬剤師には適した仕事であると実感しています。薬学部が6年制になり、医療分野のウェイトが高くなったかもしれませんが、衛生行政分野を目指す卒業生が増えることを期待しております。


10期生 昭和42年卒

岡内 拓雄 氏

一般社団法人 大阪府薬剤師会理事

この度、長年の薬事功労と言うことで大阪府薬剤師会のご推薦を受け叙勲・旭日雙光章受章の栄誉を賜りました。長年地域の開局薬剤師として会員と共に職能の拡大を推進するなかでのご褒美だと感謝しています。

古くは厚生省の医薬分業のモデル事業として長野県上田市が脚光を浴びたことはよく知られています。しかし遅々として進まなかったのが大阪府下の公立病院の院外処方箋発行でありました。大阪府下の自治体病院での院外処方箋の全面発行を箕面市立病院がいち早く実現し以後北摂地域の市立病院へ、そして大阪府下の病院へと拡大しました。箕面市薬剤師会では市立病院の前の土地を手に入れ国、府、市から補助金をいただき無菌調剤が可能な会営の調剤・備蓄センターを建設し会員が力を合わせ院外処方箋発行の啓発活動を続けました。我々会員の強い意志を歴代の箕面市長や当時の市役所職員、病院長を始め医局や事務局員の方々、そして患者さんへの分業への理解を得て念願の市立病院の全面的院外処方箋発行に繋がったのであります。その取り組みは三代の市長に亙る長い苦労の道程であり府下でも初めての大きな岩を押し動かす様な大変な事業でありました。もう一つは学校薬剤師会の活動を市長や教育委員会の理解を得、全国初の学校三師の報酬としては三師同額の報酬を頂いています。こうした一連の地域薬剤師会の独創性の高い事業の実施を評価頂いたものだと思いますが個人ではなく組織の活動が基本にあります。


7期生 昭和39年卒

米田 拓雄 氏

一般社団法人 山形県薬剤師会副会長
山形県薬剤師会副会長の米田拓雄です。このたびは母校薬友会、会報に寄稿させていただく機会を与えて下さいまして厚く御礼申し上げます。私は昭和39年卒で第7期です。

山形県薬剤師会の現況と3年前の大震災時の県薬の対応、そして本年10月12日・13日の2日間開催される日薬学術山形大会等をご報告させて頂きます。山形県薬は現在会員数1,156名(病薬会員一部含む)です。山形県在住の薬剤師は約2000名余です。会員の増強のため色々と努力をしておりますが、東京・大阪から進出しているチェーン調剤薬局薬剤師の入会が少ないのが会員数の伸びを遅らせております。

また、3年前の3月11日の大震災時、山形県薬剤師会の対応は宮城県薬の要請により震災発生4日目から薬剤師の派遣を実施し、5月連休まで延べ人数で600名ほどになりました。その時気づいたのは避難所で患者様の服薬指導時にお薬手帳が役に立ったことです。今後はお薬手帳の普及になお一層の努力をしなければと感じております。震災後の5月26日県薬の3役が被災地を訪れた時、南三陸町志津川の崩れ落ちたビルの壁に書かれたメッセージ[全国の皆さん志津川を助けて下さい]が今も目に浮かんできます。大震災の後遺症はまだまだ続いています。

さて本年10月12日・13日の2日間日薬学術大会in山形が開催されます。全国より7000名余の先生方をお迎えすべく準備を進めております。当日は山形のおいしい食物・おいしいお酒・自然豊かな景色と文化を十二分にご提供して大満足が出来ますようお待ちしております。ぜひ山形に[来てけらっしゃい]。

最後に母校の益々の発展をお祈りして、みちのく山形よりお礼を申し上げます。


21期生 昭和53年卒

出海 章弘 氏

Zuma Medical Spa 院長

私は、近大薬学部を卒業したその夏、石油産業と宇宙開発の中心地であった米国ヒューストンにある、南のハーバードと呼ばれるライス大学生化学部 に大学院生として入学し、博士号を得て生化学者となった後、テキサスA&M大学の医学部に入学し、医師となりました。医学専門領域を決める際には、薬学卒の履歴から、臨床薬理学である麻酔学を選び、テキサス大学ヒューストン校で 麻酔科研修を終了し、以来、ヒューストンで20年余り麻酔科医として働いています。休暇を利用して 、以前から興味のあった抗加齢と美容医学 の研修を過去2年間受け、最近、抗加齢美容医学クリニックを開業しました。 幹細胞治療やテロメア測定といった最先端医療も含めた抗加齢医療と美容医療を始めています。

留学当初、小学校時代から、教室で先生は黒板の前で講義をし、生徒は机に座ってノートを取り、学習したものを試験で吐き出すという受動的な日本の教育を十数年受けて育った私が アメリカで初めて体験した衝撃的なことがあります。それは、授業中に学生が自分の学習したものを演壇に立ってみんなに教えたり、試験はオープンブック、つまり、教科書やノートを試験場に持ち込んで試験問題を解く試験や、テイクホーム、つまり、試験問題を家で解いて提出するというような、当時の日本ではあり得もしないことが、ライス大学ではあたりまえのように行なわれていたことです。暗記したものを書き出すという受動的な方法では、こういう試験は全く歯が立ちませんでした。こういうことを何年も経験して、自分の足で立って自分の頭でものを考えることの重要性を学びました。

薬学部の後輩にアドバイス。全く不可能に見える目標でも、入念に計画を立て、一生懸命努力すれば、いつかは達成することができるということ。それから、これからの世の中は、日々、日本だけでなく地球単位で物事が進むということ。世界語である英語を毎日10分でもいいですから勉強して下さい。

ちなみに、近畿大学が、『近大マグロ』を研究の場だけではなく、商品として流通させるというプログマティックなアプローチを世界にアピールし,躍進していることは、地球の反対側から見ていても胸のすく思いがします。

最後に、近畿大学薬学部の伊藤敏子研究室で、研究者精神を叩き込んで下さった恩師の三宅義雅先生にこの場を借りて感謝したいと思います。


◇若い卒業生の声◇

52期生 平成21年卒

 道明 陽介 氏

大学卒業後数年勤務したチェーンの薬局を退職し、現在、大阪の泉州地域に位置する実家の薬局に勤務しております。

卒業してからまだ6年程ですが、その間に調剤報酬改定も何度かありました。最近の傾向としては皆様のご存じのとおり「後発医薬品」と「在宅医療」の促進が挙げられるでしょう。


その中でも在宅医療は個人的にも地域の医師や介護職の方々との研修会に参加したり、勉強会を開催したりと積極的に進めています。この泉州地域には熱心に在宅医療を行っている医師の方も多く、連携し在宅医療を行っています。医師も薬剤師も最近では24時間365日対応が義務となっております。この24時間365日対応が思いのほか大変で、日曜日の早朝(深夜?)医師からの電話で処方指示をもらい配達したり、はたまたゴルフへ向かう途中で処方指示が出たりなどなかなか大変です。

しかし、柔軟に対応できるのも個人の薬局の利便でもあり、地域の医療に携わっていると実感できる業務の一つでもあります。

今後、薬剤師は今以上に薬局の外に出ていくことが必要だと思います。新しい薬剤師業務が増えていく可能性は多くあります。これからも薬剤師として地域に密着した医療をしたいと思います。その為にも、数多くいる近大卒業の諸先輩方にご指導賜りたく思いますので、何卒宜しくお願い致します。


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